【 悲 劇 的 】
| この身の裡で、確かに終末が燻っている。 汗が音を立てて落ちてくる。 蛮の顎先で雫を作っているそれに銀次は指を伸ばし、滴る寸前で掬い取った。勿体無い、と思ったのだ。 そのまま口元に運んで舐めると塩の味がした。 「銀次」 声になりきらない熱い吐息で呼ばれた。顔をあげれば、目の合った蛮がニヤリと笑った。 イヤな予感に銀次は眉根を寄せる。蛮がこんな笑い方をするのは何かをたくらんでいる時だ。 「余裕あんじゃん?」 余裕なんか。 あるわけない、と思ったと同時に強く揺さぶられた。反射的に銀次の咽喉から引きつるような悲鳴が漏れる。 身体の奥深くを自分の意思とは関係なく傍若無人に掻き回される。 苦しい。痛くて苦しくて仕方が無いと思うのに、そのうち気持ち良いと感じてくる。 こんな自分はきっとどこかオカシイのだ。 オカシイのなんて昔からだから、別にいいけれど。 寧ろ、痛いとか気持ちいいとか、そんな当たり前の感覚が目の前にいる男によってもたらされるのが嬉しい。 そう思ったら堪らなく愛しさが込み上げてきて、銀次は蛮の背を力いっぱい引き寄せた。 蛮は導かれるまま、銀次と胸を合わせるように身体を重ねる。汗でぬめる身体を蛮の片手が腰からわきにかけて撫で上げ、もう一方の腕は浮いた銀次の腰を抱き込んだ。それだけで銀次の身体は背筋を走る快感に慄いた。 強く抱き寄せる力。蛮の身体の重み。互いの息遣いが耳元で聴こえるほど近いのに、更に密着してどこからどこまでが自分の身体なのか、その感覚すら覚束なくなる。 このまま溶け合って、いっそのことどこかで繋がってしまえばいい。物理的に繋がってしまえば、いつか来る別離の時が少しは遠のくだろうか。 「んっ…蛮ちゃんっ」 喘ぎながら銀次が呼ぶと、それにこたえて蛮の鼻先が擦り付けられる。 その甘やかなくすぐったさに銀次は首を竦めた。 蛮の背に回していた手を、途中肩甲骨を確かめながら蛮の身体の線を辿って滑らせると、頬に行き着く。 添えられた手のひらに蛮が銀次の鎖骨に埋めていた顔を上げて、二人の視線が絡んだ。 ふと、いつからオレたちはこんな関係になったんだろう、と思う。 始まりは、よく覚えていない。なんとなくなし崩しだったような気もするし、何か事件があったような気もする。 少なくとも銀次にとっては衝撃的な体験だったはずなのに、熱に浮かされながら記憶を探る指は掴み所無く上滑りしていく。 それでも確かなのは、目の前に蛮がいるならそれでいいということだった。それが全てだった。 蛮を見つめる銀次の唇を、蛮がペロリと舐めた。銀次は獣のような仕草に思わず笑う。 「お前さぁ」 「…んぁ?」 「前は、キスすると変な顔してたんだよな…」 嫌がられているわけではないようだったが、かといって肯定的なものでもなく、見慣れないものに出会ったような訝しげな顔つきだった。しかも、キスを繰り返せばやがて銀次はそんな表情を見せなくなったのだ。 今は蛮の唇に積極的に応えてくる銀次だが、蛮はかつての銀次の不可解な表情を未だ理解できないままだった。 「たばこ」 「あ?」 「たばこのにおいに、慣れなくて」 蛮の吐息は煙草の匂いがする。へヴィースモーカーの蛮は鼻が慣れてしまって気付かないが、それまで煙草を吸う人間と唇を合わせたことがなかった銀次には、その匂いも味も異質だった。 「今はもう慣れた、か」 銀次の言葉に合点がいって蛮は微笑むと、薄く開いて浅い呼吸を繰り返している銀次の唇に自分のそれを重ねた。舌で歯茎の裏をゆっくりとなぞりあげ、一度唇を離すと直ぐにまた重ねて、今度は息もつかぬほど貪った。 苦い独特の香りが銀次の鼻腔を擽る。 蛮の匂いだと思えば、その苦みも銀次にとっては甘い蜜に変わり、銀次を陶酔させた。 しかし。 こうやって最愛の人間の最も近くにいる時も、銀次は頭の隅のどこかでその気配を感じずにいられなかった。 それは、蛮の煙草の香りのように時間と経験によって身に馴染むものではなかった。 常に異質であり続け、そして銀次の性質を確かに決定付けているもの。 その正体が何なのかはわからない。ただ、途方も無いエネルギーの塊だった。 魂の芯が核融合を起こすように燃え、時に爆発的な光を放出する。 銀次は、この力の危うさを本能的に知っていた。 何しろ身の裡に宿して、今身体を重ねている蛮ですら届かない奥深くに息づく存在なのだから。 ――――――オレは、“オカシイ”。 それは蛮の魔女の力とは異なり、この世界の理から外れたものだ。 蛮の力は長い年月をかけて受け継がれてきた血脈と魔女の知恵によって、迫害されながらもこの世の片隅に居場所を獲得した力だった。 けれど、自分のこれは違う。 この世界の仕組みを無理矢理捻じ曲げて生み出されたものに違いない。 本来在るべきではない、唐突に出現した力だ。 偶然なのか、何かの意思が働いたのかは与り知らぬところだったが、不自然な存在はいずれ淘汰される。そうでないならば、自滅するだろう。 蛮の舌の感触を味わっているこの瞬間も、少しずつひずみが生じて、いつの日かドミノが倒れるように一気に崩壊するのだ。 ――――――オレは消えるだろう。 そう遠くない未来に。 その日のことを少しでも思うと、銀次は身体の熱が一気に引いて恐怖に身が凍えた。 唇を塞がれているからではない息苦しさが、胸に重く圧し掛かかってくる。肺が押しつぶされそうだ。 銀次の異変に気付いた蛮が唇を離すと、銀次は慌てて蛮を追いかけてその首に縋った。 蛮の首筋から、強く脈打つ音が銀次の耳に直接響いてくる。 その音を聞いてやっと平静の欠片を取り戻してゆく。 ゆっくりと埋めた顔を離して蛮を見上げれば、予想通り怪訝な表情と出会った。 聡い蛮を誤魔化すのは容易ではないとわかっていたが、それでも銀次は蛮の気を逸らせようと彼の耳朶を舐めてみる。 蛮の肩がピクリと震える。 そのまま銀次は両腕を蛮のわきに潜らせて肩に回し、いっそう強く蛮に縋りつく。 「…蛮、ちゃん」 銀次が甘えて強請れば、蛮は応えるのだ。 銀次の顔を挟んで肘をついた蛮は、あえて誘いに乗ってやるというように、銀次の鼻先に小さい口付けを落とすと艶然と微笑んだ。 蛮の肌理の細かい肌は、汗に濡れて光ながら上気している。額には零れ落ちた艶やかな黒髪。その下で蒼い瞳が形良く細められるのに、銀次は思わず見惚れてしまった。 ――――――なんて綺麗な人なんだろう。 うっとりとしていると、突然奥を抉られて、銀次は再び悲鳴をあげた。 蛮は銀次の仰け反った首を、喉元から顎先にかけて唇で辿り、 「……イイんだろう?」 艶のある深い声で囁いた。 甘噛みされた箇所から身体に沁み込んでくるようだ。 堕ちる、と思った。 「っ、あぁ……」 毒を含んだ甘い声に堕とされる。 強く突き上げられれば自分でも驚くような高い嬌声が漏れた。 それでも、恥かしいなんて思っていられない。そんな余裕は銀次には無かった。 それどころか、より貪欲に蛮を求める。 もっと、もっと、もっと。 まだ足りない。全然、足りてない。 襲い来る黒い予感を追い払うには足りないんだ。 燃え尽きようとする魂の幻影を束の間でも見なくてすむのなら、痛くても苦しくても構いはしない。 飛ぶ瞬間にはイヤなことは全て忘れられるから。熱いうねりに飲み込まれて何も考えられなくなるから。身体を繋げているあなたしか感じられなくなるから。 あなたしか見えなくして。 銀次は振り落とされまいと、無意識に蛮の腰に足を絡ませた。 蛮がそれにうっそりと笑うが、銀次は気付かない。 飛び散る汗が、自分のものなのか蛮のものなのか、既に区別は付かなかった。 白くけぶる視界。霞がかってゆく意識。 頭の芯が溶けて、ドロドロになる。 銀次の意思を離れて、痙攣した脚が宙を蹴り上げた。 下肢を苛んでいた断続的な痛みが、頭の中を真白く染める快感へと一気に上り詰める。 死ぬのが怖いわけではない。 いや、結果的には死ぬのが怖い。 だが、本当に怖いのは、この手を失うことだ。 意識が弾ける瞬間、蛮の身体を離すまいと力いっぱい抱きしめた。 乱暴な言葉も、甘い疼痛も、優しい愛撫も、汗の味も。 あなたに与えられるものならば、 たとえ悲劇であっても、オレは幸せなのに。 END |
色気が無い。がっくり。
本当は蛮視点で長い話を書くつもりのネタでしたが、面倒になったのでH練習用に短い話に押し込んだら、異様に説明くさくなりました。結局色気も無く共倒れ。
2話か3話構成に伸ばすという手もありましたが、蛮様がもたないと思ったので(爆笑)!
雪の雷帝解釈はこんな感じです。「雷帝」とは銀次の「別人格」と言うより、銀次が身の内で燃やす不自然に莫大な熱量の発露、という…。これだと、死ぬね、銀ちゃんは。アーカイヴァに記されてなくても身体が耐え切れなくなって死ぬよ…。もうちょっと説明が必要だけど、それはおいおい。
原作では幸せな大団円が待っているさ、きっと!!
2003.10.30