【Der scheidende Sommer】


馬鹿が100コくらいつくほど正直な銀次が、ひとつだけ嘘をついたことがあった。
…………いや。
ひょっとすると、本人にしてみれば嘘じゃなかったのかもしれないけれど。


「忘れることは罪じゃないよ」


まさか、お前の口からそんな言葉が出てくるとは思わなかった。







おこぼれにあずかろうと寄ってきた鳩に周りを囲まれながら、いつもの公園のベンチに腰掛けて、俺たちは昼飯をくっていた。
俺たちの食事の大半はHONKY TONKのタダ飯と、コンビニで買ったノリ弁当だ。
ノリ弁はいい。
実に、いい。
安いわりにカロリーの高いものが沢山入っていて、俺たちみたいな食べ盛りビンボーにとても優しい弁当だ。
「蛮ちゃんてさ、頭いいじゃん?」
突然前ぶりもなく、急に何かおもいついたように銀次が言って。
俺は箸を止めた。ついでに茶を飲んで、口の中に残っていたものを流し込む。
「時々、オレ心配になるんだよね・・・」
「テメーが心配してるのは、今俺にフライを奪られるかっつーことだろ?」
「それも心配だけどっ」
慌てて銀次が白身のフライに食いつく。
おもしれぇ。
銀次はフライを飲み込むと、玉子焼きをつつきながら口を開いた。
「蛮ちゃん、色んなこと知りすぎてない?」
「はぁ?」
「色んなこと、知ってるでしょ?」
「まあ。少なくともテメーよりはな」
「でもさ、ものごとを知ってるっていうのは、時々さ、凄く辛いじゃん?」
「…………」
「知らない方が良いことってあるでしょ」
「……お前は知らなさすぎだけどな」
「オレのことは横に置いといて!」
箸に突き刺した玉子焼きを振り回して、ハナシの腰を折るなと銀次がオレを睨む。その隙に、俺は銀次の手を引き寄せて箸の先の卵に喰らいついた。
「ああ゛――!!」
「ごっそさん」
「タマゴー!オレのタマゴー!」
半べそをかいて銀次が俺に食って掛かる。少し舌足らずの、甘えた口調でタマゴを強請った。
「テメーは食い物の心配してればいいんだよ」
こいつは、こんなふうに食い物のことで怒ってる方がいい。
難しいことなんて考えんな。どうせろくなこと思いつかねーんだから。
腹いっぱい食って、生きていくことを考えてればいい。
「お弁当も心配だけど!今は蛮ちゃんの話をしてるの!」
いたって真剣な目つき。
どうしてもこの話題を続ける気らしい銀次に、俺には観念した。
「色んなこと知っちゃってるのは、もうしょうがないんだよ。でもさぁ…」
銀次は少し考えこむそぶりをする。
本当は最初から言いたいことが決まっていたのだろうけど、その時は一旦言葉を切った。
「過去のことは忘れてもイイと思うんだよね」
「あ?」
「今までの辛いこととかさ、少しずつ忘れていってもいいと思うよ、オレ」
「何だそりゃ」
「蛮ちゃんがさ、責任とか感じても仕方がないことってあるじゃん。どうしようもないことって、あるじゃん」
「じゃあ、お前は今までのこと忘れられんのかよ」
「……オレと蛮ちゃんて同い年だよね」
「で?テメーは無限城のこと忘れられんのかよ?!あ?」
銀次は驚くほど冷静だった。苛立って語気を荒げる俺に対して、静かに言葉をつむぐ。
「オレの18年間と、蛮ちゃんの18年じゃ、違うよ」
「…………」
「どっちが大事とか、どっちが軽いってことじゃない。でも、蛮ちゃんは外で生きていたから、オレよりも沢山の世界と関わっている」
オレの世界は無限城と蛮ちゃんだけだから、銀次が俯いて自嘲した。
「蛮ちゃんは色んな人たちに出会って。……そして、誤解されてるでしょ?」
銀次が上目づかいで俺を覗き込む。少し悪戯めいた表情を作って。
「蛮ちゃんて、意外と真面目だし、本当は優しいからさ。弁解しないし、黙って誤解されたままで。……本当のこといわずに、わざと自分を恨ませておいたりするでしょ」
そういうの、辛いよ……銀次の口元が歪む。深刻になりすぎないように明るく話そうとして、それが失敗した顔だ。
なんでお前がそんなに辛そうなんだよ。



どこかでけたたましく鳥が鳴いた。
乾いた冷たい風が吹き、足元の鳩たちが一斉に飛び立つ。
巻き上がる風。視界を埋める鳥の翼。猛々しい羽ばたき。
瞬きもせず、無言でそれらが過ぎるのを待ってから、



「蛮ちゃんのことは、俺が知ってるから」



どんなことがあっても、俺が知っているから大丈夫。
噛んで含めるように、繰り返して。
薄っすらと涙を溜めた瞳。
自愛に満ちた、穏やかな表情で銀次は言った。




「だから、過去は忘れよう。忘れることは、悪いことじゃないよ」







その時、俺は何て返事をしたのか、覚えていない。
だけど。銀次の言葉に胸を突かれたけれど、ひどく裏切られた気持ちがしたことを覚えている。
落胆?
いや、もっと腹立たしさを伴った、遣る瀬無さ。
言葉は銀次の優しさで溢れていたのに、同時にすべていたましく聞こえた。それどころか、どこか哀れささえ滲んでいた。
それは、銀次が本当に望んでいることとは正反対だったからだ。



昼も夜も。
俺たちは一緒にいた。昼間は笑いあって、夜は抱き合って。
俺に絡みつく銀次の腕や脚。
俺を見つめる甘い色の瞳。
その視線が、その仕草が、いつも『忘れないで』と叫んでいた。
『ここにいる俺を忘れないで。どんなことがあっても、蛮ちゃんだけは覚えていて』
声には決して出さなかったけれど。
触れた指先から俺のこころをめがけて銀次の叫びが流れ込んでくる。
それが銀次の本心だったはずで。



正直なお前がついた最初で最後の嘘。