【祈り】
「うっわー。すごーい!」 HONKY TONKの扉を開いた瞬間、歓声を上げて銀次が駆け出す。 「降ってきたな」 戸外に置いていた看板を中に入れて店じまいをしながら、波児が空を見上げて言った。 今日はやけに冷えると思っていたら、ついに雪が降ってきた。 俺は折角コーヒーで温まった身体が冷えないように、肩を縮こませて店の外に出る。凍った冷気が頬を刺して痛い。 「傘、持ってくか?」 波児が気をきかせてくれるが、 「いや。多分無駄になるし……」 「蛮ちゃーん。雪だよー!」 道の真ん中でこちらに手を振る銀次を眺めながら、アパートに戻る頃には濡れそぼっているだろうと思う。 「確かにな……」 波児ははしゃぐ銀次に目細めると、気をつけて帰れよと声をかけて店内に戻っていった。 路上にうっすらと積もった雪を、街灯が白く照らしている。 歩くと、靴裏に濡れた砂のようなジャリっとした感触。 人々は家路を急いだのだろうか。周囲に人影はなく、道行く車も殆どない。 泥混じりの雪を踏む足音だけが夜道に響く。 突然、前を跳ねるようにして歩いていた銀次がしゃがみ込んだ。 追いついて肩越しに覗き込んでみれば、道端に溜まった雪を素手でかき集めている。 路肩に積もったそれらは、排気ガスを被って少し薄汚れている。銀次は表面の雪を払って下の白い雪を掻き出すと、それを形作りはじめた。 「なにやってんだ?」 水を含んで重さを増した髪が額に張り付くのにも構わずに、銀次は熱心に雪をいじくっている。 都心に降る雪は重く、地上近くで雨が混じる。 まるで汚れた世界が泣いているようだ。 涙まじりの風が彼の金の髪を煽るさまは、なにか神聖なものを見ている気がした。 「みて!」 銀次が立ち上がって両手をつきだした。 その手のひらには、片手で覆ってしまえそうなほど小さい雪だるまが、1つずつ。 「こっちがオレで、こっちが蛮ちゃん」 それぞれを持ち上げながら、銀次は少し誇らしげに言った。 「もっと男前に作れよ」 なんの飾りもされてない不恰好な雪の塊に笑う。 イタズラ心で、彼の手からそれを払い落とすフリをしてみれば、 「だめー!」 叫びながら必死に守ろうとする。 それでもしつこく絡めば、拗ねた目で睨んできた。 謝る代わりに、額に張り付いた髪を優しく拭ってやると、彼は擽ったそうに首をすくめて笑った。 ――――――銀次が、笑う。 お前が笑っていられるなら、俺はどんなことでもするのに。 「これ、持って帰っていい?」 銀次は小首をかしげてねだった。 子どもじみた、幼く甘える仕草。 他愛無くも小さな願い……。 「帰るまでに溶けるだろーが」 今この瞬間も、彼の願いを裏切るかのように、 どうにかしてそれを守ろうとする銀次の体温が、無情にも小さな雪だるまを溶かしてゆく。 アスクレピオスを宿し、ヒトを超えたこの身体は、そんな彼のささやかな願いさえも叶えてやれない。 ――――――無力な、 なんと無力なこの右手。 「置いとけ。持ってると溶けるぞ」 言われて気付いた銀次は慌てて周りを見回すと、それを植え込みの影に置いた。 そこなら安全だとでもいうかのように。 銀次の空いた両手を掴んでみれば、果たして予想通り凍るような冷たさだった。 冷えた指先を温めるために血液が集まって、肌を真っ赤に染め上げている。 その いのちの いろ。 鮮やかな赤色に安堵を覚えつつ、早く体温を取り戻させようと、銀次の手を擦ってやる。 持ち上げて息を吐きかければ、寒さに強張っていた指が次第にほぐれていった。 「へへ」 照れた銀次がはにかんで笑う。 そのまま、彼の手を自分の手と一緒にコートの両ポケットに突っ込んだ。 抱き合うかのように、向かい合わせで重なる身体。 肩口に顔をうずめると、銀次の首筋の温かさが凍った頬に優しく伝わってくる。 緩やかに降りしきる雪に閉ざされた夜の路上で、聞こえるのは互いの息遣いだけだった。 並んだ雪だるまは、明日には溶けて形無く崩れてしまうだろう。 それと同様に、過酷な運命のもと、俺たちの未来は恐らく望ましいものではなくて。 いつか終わりの時がくるとしても。 ――――――どうか。 明日は、今日の続きでありますように。 あたたかな彼の傍らに寄り添い、 彼のささやかな願いを叶えられぬ我が身を恨む。 こんな小さな出来事に胸を痛めることのできる、 何も変わらない日常が続けばいいと、 暗闇に怯える幼子のように、震えながら必死で祈っている。 今はただ、 彼の凍えた手を温めることを……。 END |
中島美嘉の『雪の華』を聴いて。
2003.10.17
美堂蛮さま御生誕記念小説。どのへんがお誕生日なのかというと、アパート住まいのあたりが、です。アパートを雪からプレゼント!真冬にスバル住まいでは命を落としかねないので!
ちょっと前に書いたものですが、冬を待って眠らせていた話。
短いし、ありがちでなんてことのないお話ですが、私の書く蛮銀の基本テーマというか、通奏低音です。同じテーマがあちこちに繰り返し登場します、多分。
今日と同じ明日が来るなんて保証はどこにもなくて、彼らには「今」が全て。
彼らの強く求め合う関係は、次の瞬間には失ってしまうかもしれないという、ギリギリの切迫感と背中合わせの絆だと思います。
ホモを抜かしても(笑)。
そうじゃなきゃ、蛮ちゃんのあんな高感度な銀次センサーはありえないだろう(笑)。
2003.12.12