【REBIRTHDAY】 # 5
| サチコは歌舞伎町の女だ。 歳は知らない。自分からは言わなかったし、特に興味も無かったから尋ねたこともない。多分20代だろうが、水商売で働くにはとうが立った年齢だということは予想がついた。 「蛮くん。できたよ」 声と同時に、目の前に湯気を上げる皿が置かれた。香ばしいにおいが食欲を誘う。 「うめぇ!」 作りたての焼きソバを一気にかき込む蛮を、サチコは嬉しそうに眺めた。 蛮は食べ物を口にしてやっと、朝からまともな食事を取っていなかったことに気付いた。すると、思い出したように腹が減ってきた。 そういえば、今日口にしたものといえば、波児に奢らせたコーヒーだけだった。 むしゃくしゃしたまま家を出た蛮は、HONKY TONKへ怒鳴りに行った。 いくらかは八つ当たりだが、勝手に人のヤサを漏らされたのだ。しかも「恐怖のディアブロ」などとという異名を持つ相手に。波児だって、蛮が雷帝と殺り合ったのを知っていたのに。 一言ぐらい言ってやらねば気がすまなかった。 「だってアイツ、3日間ずーっとここに来てお前を待ってたんだぞ」 最初の日に「美堂蛮はここにいませんか?」と尋ねたきり、朝から閉店まで何をするでもなく何を話すでもなく、ツケが溜まって顔を出せない蛮を、ただじっと待っていたらしい。 流石に憐れになって、3日目の閉店時に蛮のアパートを教えたのだという。 「報復だと思わなかったのかよ」 俺様のイノチが危ねーだろうが、と愚痴れば、 「雷帝というより、捨てられた仔犬に見えた」 と、喰えないマスターは飄々と答えた。 結局、最高級のブルマンをサービスさせることでよしとしたが、もっと吹っ掛けてやればよかったと蛮は臍を噛む。 「どうしたの?なんか変なもの入ってた?」 箸を止めて物思いに耽っていた蛮に、サチコが声をかける。 自分のアパートに帰りたくなかった蛮は、そのまま知り合いの女の家に転がり込んだ。 「いや。うめぇよ」 「よかった」 サチコは蛮の世話を焼くのが好きらしい。 蛮は年上の女によくもてたが、サチコのそれはセックスを伴うものではなかった。寝たのは知り合った最初の一晩だけだ。その後は、蛮が忘れた頃にふらりとやって来た時だけ、煩がられない程度に構っている。 “あんたくらいの弟がいるのよ” 10代の時に家出をしたまま実家に帰っていないサチコは、逢えない遠くの弟の影を蛮に重ねているようだった。弟をあまり可愛がれなかった分、蛮の面倒をみる事で気持ちの埋め合わせをしているのだろう。 肉親の情なんてもの、俺には無縁だけど…。 蛮が焼きソバを綺麗に平らげると、デザートだと言ってアイスクリームが差し出される。 アイスって、…もう、冬だぜ?寒いっちゅーの。 蛮はサチコの甲斐甲斐しさに小さく苦笑した。 冬に暖房の効いた部屋でアイスを食べるのが好きだと、そういえば以前言っていた気がする。 サチコは聞かれなくとも自分のことはつらつらと喋ったが、蛮には何も尋ねなかった。どこから来たのか、とか、何をしているのか、とか。 そんなところが蛮には居心地良い。探られるは最も蛮が嫌悪するところだ。たとえ悪意のないものであっても。 “あたしの名前ね、幸せの子って書いてサチコなの。なのにおっかしーよね。こんなトコにいてさぁ” 乾いた笑い声をあげながらそんな風に言ったことがあったと、ついでのように思い出した。 信じていた男に捨てられた挙句借金を押し付けられて、歌舞伎町に身を堕とした。そのままこの生活から抜け出せずに、ずるずると暮らしているらしい。 惰性に打ち萎れていく心。 怠惰な絶望。 「なぁ、サチコ。あんた幸せになりたいって思う?」 凍ったアイスの表面をスプーンで突付きながら、ふと蛮が尋ねた。 「……そうね。夢はあるわ」 「夢?」 「結婚して、子ども生んで、白い家で毎日料理を作るの」 この街では珍しくもない境遇の女の他愛ない夢。だが、それはどこか恐ろしく現実味に欠ける。 しかし、言いながら笑う顔は意外なほど子どもっぽかった。 サチコは黒くつぶらな瞳を揺らめかせて夢を語る。まるで捨てられた仔犬が通りかかった人間を見上げるように夢を見る。 蛮を既視感が襲った。 ――――――ああ、あの男だ。 突然押しかけてきた雷帝が自分を見た時も……。 そう思った瞬間、違うとも思った。 決定的に何かが違う。 サチコの目には、その語り口には、乾いた空虚が見え隠れする。 現実感の薄さは、自分で描きながらもその未来を信じることができない、悟りにも似た諦めがあるからだった。 潤いを持たない夢は少しの圧力に容易く崩れ落ち、砂となって風に消えるだろう。 毎日、何かを少しずつ取りこぼして、味気ない倦怠だけが降り積もってゆく。 いつしか、本気で望む気力さえ失って、幸せになることを諦めた女。 自分と似た女。 だから、俺は彼女の傍にいると心地いいんだ。 意味ある生を諦めた。 人を信じることを諦めた。 人を愛することを諦めた。 あの男の目は、諦めていなかった。 |
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