【世界の中心でアイを知る】


……死ぬかもしんねぇ。
てゆーか、死ぬ。
マジで死ぬ。


「……蛮ちゃん、さむ」
ボカッ!
「いったーい」
「うっせー。寒いっつたらブッ叩く」
「言ってんのは蛮ちゃんじゃ…っ!イテッ!」
ヒィ!と情けない悲鳴をあげて腕で庇う頭に、俺はまた容赦なく鉄拳を振り下ろした。
銀次は殴られた場所を撫でながら、半べそをかいて睨んでくる。モノ言いたげな目つきだ。文字数にしたら、400字詰め原稿用紙が10枚は軽く埋まるだろう眼差しだが、俺は無視した。
だいたい、それどころじゃねぇ。
さみーんだよ。スッゲー寒い。ありえねぇ寒さだ。
認めたくはないが金運のないらしい俺たちは、相変わらずビンボーで。
奪還自体は成功するものの、まとまった報酬を殆ど手にした事がないまま、年末を迎えてしまった。
辛うじて、スバルだけはレッカーされずに死守しているが、実はなけなしのカネも俺様がパチンコですってしまったのだ。
オカシイ…今度こそ来る!と思ったのによ。(と、銀次に言ったら、貧乏神が来たね、なんていいやがったもんだから、一発どついておいた。)
本来なら何とか安いビジネスホテル、それが無理でもせめて深夜営業のサウナや漫画喫茶あたりで暖を取って年を越せたはずなのに、それすらできずに、こうして唯一の財産である車の中で震えながら夜が過ぎるのを待つハメになってしまった。
そんなワケで、銀次が今俺を恨めしく睨むワケはイヤと言うほどわかっているのだ。
だが、そんな罪悪感も、申し訳なさも、この寒さの前では霞む。
今年は暖冬だと言われるが、やはり今は間違えなく冬だった。
これはヤバイかもしれん。
流石の俺も危機感を感じざるを得ない状況だ。
俺たちは生きて新年を迎えられるのだろうか…。
ふと、『新宿の路上で身元不明の男性2人凍死』なんて記事タイトルが頭に浮かんだ。
……洒落になんねぇよ。
東京は温帯に属するが、それでも冬の夜の冷気は大人を簡単に凍死させる。
しかし、この事態の責任が自分にあることを自覚しているために、今更泣き言なんていえないのだ。
小銭を使えばファミレスぐらいはいけるが、それを使えばこれから先の食費がなくなる。
「凍死と餓死、どっちがいい?」と銀次に聞くことも勿論できない。
俺は夜気に晒された部分がないように毛布を身体に巻きつけて、とにかくこの寒さを凌ぐ術に頭をめぐらせた。
人間の身体と精神は密接に関連している。寒いと思えば思うほど寒くなるのだから、他のことを考えればいい。
フロントガラスの外に見える黒い空を見上げる。
目を凝らせば、またたく小さな光が沢山あって。
新宿という夜が華やかな場所柄、普段はあまり意識することはないが、こうして改めて星空を見ると、遠い記憶が蘇ってくる。
ドイツの深い森の中。
あの頃、魔女たちの囁きすら届かぬ場所にひとり逃れて、時折夜空を見上げた。
思ったのは、天に比した己の小ささ。そして、そんな小さな自分に降りかかる運命は、きっと取るに足らぬほどちっぽけなものであるということ。
そう思えば、少しは慰められる気がしたから。
空は高く、暗く、遠く。
輝く小さな星の向こうに、さらなる宇宙が広がっているのだろう。
どこまでも果てしなく。
静かな闇に、果てのないことを想う。
あたりは梟の鳴き声すら聞こえず、深い海の底を思わせる静謐さに覆われていた。
カチカチカチカチ。
自分の呼吸音以外、何ひとつ物音のない……?
カチカチという、小さなその音に、深くたゆたっていた意識が引き戻された。
何かを打ち付けるような、すり合わせるような。
隣から聞こえてくることに気付いて、俺は寝返りを打って身体を返した。
「おい。銀次」
その音は銀次の口元から聞こえてくる。銀次の唇は微かに開き、その奥で歯の根が噛み合わず震えているのが見えた。
呼ばれて銀次は「う?」とこちらに目を向けるが、相変わらず寒さに震えて歯が鳴ったままだ。しかも、唇の色も悪い。
「大丈夫かよ」
慌てて銀次の頬に手を伸ばせば、普段体温の高い彼にしては意外なほどの冷たさだった。
夕飯を抜いたのがまずかったのだろうか。
「蛮ちゃんの手、あたたかいね」
毛布に包まり、自分の身体を抱くようにして脇の下に潜らせていた俺の手は、確かに暖かい。だが……。
小さく震えながら、ほにゃっと銀次が笑う。
まずいな。
銀次が軽口を叩かず、こんな風に笑う時は、かえってマズイのだ。
コイツは本当に辛い時には、辛いと言わない。
「おい、こっち来い」
のそのそしている銀次がじれったい。堪らず腕を伸ばしてその身体を抱き寄せ、剥ぎ取った毛布を俺のと2枚重ねにして、上から掛けなおした。
毛布の下で銀次の身体を擦ってやると、暫くして少し顔色がよくなってきた。
「ありがとう、蛮ちゃん」
「……おう」
やっと楽になったのか、銀次の身体から次第に強張りがとけるのを感じた。それに安心して俺もそっと胸をなでおろす。
銀次と俺の体温で、毛布の中はかなり暖かくなった。
春先の柔らかい日差しのような、心地よい暖かさだと、目の前にある金の髪をぼんやりと見ながら思う。
「あ」
「あ?」
「……ホラ、蛮ちゃん」
「あんだ?」
「年が明けたよ」
言いながら銀次が顎で時計を指した。見れば丁度午前零時を回ったところだった。
「明けましておめでとう。蛮ちゃん」
「ああ。おめでとさん。…………今年もヨロシクな」
「?!」
「なんだよ…」
「蛮ちゃんがそういうこと言うとは思わなくて」
「俺だって挨拶くらいするっつーの」
「イテ!何でぶつの?」
「一言多いんだよ、お前は」
ぶーと頬を膨らませる銀次に、いつもの調子が戻ってきたことを確認する。もう大丈夫だろう。
「でも。蛮ちゃんてさ、先を約束するようなこと、言わないでしょ」
何気なく紡がれた言葉に、心臓を掴まれた気がした。

それは、俺の恐れ。
俺の弱さ。
そして、狡さ。

未来を夢見ることを知らない俺は、いつも約束を口にできない。
訪れるはずの明日を失ってしまった時が怖いから。
果たされずに宙に浮いた言葉は、その鮮やかな希望の色を失い、棘となってこの胸に、もしくは相手の胸に突き刺さる。永遠に抜けない苦い棘。
だから、俺の言える言葉はとても少ない。
来るべき日が遠くなればなるほど、俺の舌は凍りつき、一言も発せなくなる。
俺はただ立ちすくみ、途方に暮れるのだ。
銀次の瞳は、そんな俺の卑小な恐れなど見抜いていた。
驚きに瞠目しているだろう俺に、銀次は穏やかな笑みを向ける。責めるでもなく、ただただ受け入れる微笑だった。
多くを求めず、在りのままを肯定する目の前の存在に、背中を優しく押された気がした。
せめて今日くらいは新年の挨拶に託けて――――。
「今年もよろしく」
噛み締めるように、もう一度繰り返して言えば、銀次は「よろしく」と頭を下げた。
きっと、俺の気持ちを察したに違いない。照れくさいような、なんともこそばゆい気持ちに、少し居心地が悪くなった。
「朝になったらあったかいコーヒー飲もうね」
微妙な雰囲気をわざと壊すかのように、銀次が明るく言う。そんな不器用な、しかしあたたかい心遣いが嬉しい。
銀次はたどたどしくとも確かな手つきで、いつも俺の欲しいものをくれる。
「そうだな。…何かあったけーもんも喰おうぜ」
この先の角の向こうにコンビニがあったことを思い出しながら、俺は窓の外にまた目を向けた。


小さなスバルの中で、ひっついて縮こまる俺たちはさらに小さい。
スバルの外には、冷たく澄んだ冬の世界があって、この国の向こう側には夏の国があって、この地球の外には銀河系があって…。
あの頃と同じように、果てしない宇宙を想う。

ちっぽけな俺たちの生きる、無限の世界。
それでも、こいつの隣なら、俺は世界の中心にいるような気がする。





ここが、俺の居場所。



END




……書き出しと終わりのギャップが笑い所ですよ(笑)。
世界の果てしなさを考えると、ラッキョウの皮剥きをするサルの気分になります。どこまでも剥いてゆくのだ。ムキー!
ラッキョウは小さな宇宙です(哲学)。
小さくても、蛮と銀次にとっては大きな幸せを書いてみました。家族愛、かなぁ?


2004.1.4




++back++