【Last Smile】




銀次





どこか遠くで呼ばれた気がした。






―――――――――呼んでる。



近くで感じる数秒間の熱。
次いで漂ってくるタバコの臭い。


それらに腕を引かれて、緩やかに意識が浮上してゆく。


銀次


鼓膜へというよりは意識に直接働きかけるような声に、銀次は目を覚ました。
いつの間にか居眠りをしていたらしい。ぼやける目をこすりながら、隣を見た。
わざわざ確かめずともわかるその気配。そして、嗅ぎ慣れたマルボロの香り。

「蛮ちゃん」

雨のにおい。

「そと……あめ?」
「ああ」
寝起きでたどたどしく尋ねる銀次に、何でもないことのように蛮は返すが、その髪の先からは雫が垂れ、土砂降りの雨の中を傘もささずに歩いてきたかのように全身濡れている。
銀次はバックシートに腕を伸ばしてタオルを捜した。
物置と化している後部座席は無造作に色んなものが放られていて、目当てのもがなかなか見つからない。

蛮ちゃんが出ている時に雨が降ったら、いつもちゃんと用意しているのに。
寝ちゃってたからかな。

……………………雨?

何か。
何か予感めいたものが脳裏をかすめた矢先にそれは見つかった。
引きずり出して蛮に手渡そうと振り向くと、蛮がじっとこちらを見ていた。
「蛮ちゃん?」
「……サンキュ」
「うん」
変なの。
受け取ったタオルを握る蛮の白い手を見ていると、頭の中が霞がかり現実感がなくなっていくような気がする。自分はまだ寝惚けているのだろうか。慌てて現実を繋ぎ止めるように銀次は頭を振り、覚醒を促した。
「拭かないの?」
濡れた頭を拭こうともせずに銀次を見つめる蛮を不審に思って、声をかける。
「顔のケガ、治ったな」
蛮は銀次の問いには答えず、夜に溶けるような声でそっと呟いた。
「傷が消えてよかった」
と、白い指が頬を指す。
それは、先日の依頼の最中に銀次が負った傷のあった場所だった。しかし、怪我をすることは珍しくなく、むしろ日常茶飯事だ。そもそも銀次の怪我は驚くべき速さで治癒する。しかも普段、治った傷をわざわざ話題にすることはなかった。
銀次は彼らしくない言葉に戸惑うというより、何故か唐突に切なくなった。
そして、なぜそんな風に思うのか探りたくなくて、誤魔化すようにへらりと笑う。
「ホラ、オレって食べればすぐ治るし」
探ったところで、きっと面白くない答えなのだ。いや。面白くない、というよりも、もっと哀しい何か…。
「……だなー。オメーはだから太るんだよ」
「ひっどーい。太ってないもん!」
「でーぶ」
「むきゅー!(怒)」
――――そう、いつもの感じだ。何も変わりない。


オレたちは変わりないのに。
それなのに、不意に、静寂が降りてくる。




静寂が突きつけるその事実に、頭の奥の一部が急速に冷えてゆく。




必死で耳を澄ますのに、




雨の音など聞こえやしない。




「……銀次」
「なに」
喉が渇いて、少し掠れた声で答える。
「銀次」
「なぁに?蛮ちゃん」
銀次の声に、蛮は花が綻ぶように笑った。
ひっそりと、しかし、鮮やかに。青白い彼の頬にその時だけ赤みがさして見えた。
蛮の手がそっと銀次の頬に伸びる。銀次はそれに自分の手を重ねた。雨の匂いのする冷たい指先がまるで宝物を扱うように、そっと銀次の顔の輪郭をなぞってゆく。
――――2人の目が合った、気がした。
「……傷、まだ痛いかもしれない」

だって、痛いほどわかっている。

「治ったっていったじゃねーか」

蛮の眼に宿る深淵は、

「でも、また怪我するかもしれないし。ううん。ぜったいするし」

明日が来ないと告げている。

「怪我いっぱいしちゃうし。蛮ちゃんがいてくれないと、オレ……っ!」
銀次は恐ろしいことが潜んでいるように沈黙を避け、畳み掛けるように言い募る。それに蛮は困った笑みを漏らした。




オレたちは、確かに今、向かい合っているのに。
今、ここに在ることが、全てなのに。





蛮の指先が銀次の唇に触れたその時。
2人を包む不可視の膜を切り裂いて、フロントガラスの前に置かれた携帯電話の着信音がけたたましく響いた。
はっと手を引く蛮の手首を銀次は掴んで留める。
「電話」
「……蛮ちゃん」
「電話だ、銀次」
「蛮ちゃんが出てよ」
だって、それは蛮ちゃんの携帯じゃないか。
何でオレがとるの?
何でそこにあるの?

いつから

そこに

あるの?

そして、雨に濡れた跡など微塵もないフロントガラス。

「わかってるんだろう」
夜の闇を映した様な蛮の瞳は、銀次に不可避の確信を突きつける。

時間切れだ。

「蛮ちゃんっ!!」
何もかも悟ったように静かに諭す蛮がもどかしい。掴みかかろうとする銀次を蛮はやんわりと、しかし断固として押し留めた。
電話は鳴り続けている。
――――この電話は取らなければならない。
蛮を視界に捉えたままそっと腕を伸ばす。
手が細かく震え、指先から凍えていく気がした。




「銀次。――――――笑え」




精一杯の想いを込めて、銀次は笑った。



電話を握る。
蛮が満足そうに微笑んだ。

永遠とも思える瞬間。

通話ボタンを押し、耳にあてた。

『銀ちゃん?!蛮くんがっ……!』
聞こえてきたのは、驚きと混乱と悲しみとが綯い交ぜになって引きつったヘブンの声。








銀次が瞬きをした一瞬後、そこに彼の姿はなかった。








蛮の事故を知らせる取り乱したヘブンの声が、鼓膜をすり抜けてゆく。
聞かなくても内容はわかっていた。それどころか、結果すらわかっていた。
だって、たった今まで彼が、居ないはずの彼が目の前に居たのだから。
灰皿に、まだ紫煙の残る吸殻。
運転席のシートにはタオルが一枚。
それを取り上げると、しっとりと湿った雨のにおいがした。




銀次、笑え。




糸が切れたように、銀次はシートに崩れ落ちる。
手から滑り落ちた携帯が、足元に転がった。








ほどなくして、陽の落ちた暗い空に遠雷が響きだす。



END




夏の風物詩といえば怪談…。(もう夏は過ぎましたが)
初めて書いたGB小説です。無理やり怪談にする必要もないのに書いてみたら(チャレンジャー)大変なことに!!ぎゃ!
突っ込みどころは山ほどあります。
銀ちゃんは生命の危機になると雷帝化して不死身になってしまうので、蛮ちゃんをお化けにしてみましたが、そもそも蛮ちゃんって死ぬの?というハナシ。
どうやったら死ぬのか一晩悩みました。(ばか)
どうにもならず曖昧に事故と書きましたが、今『GB裏』を見たら、片手でトラックを止めているシーンが!
ぎゃふん。

2003.9.18




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