【猫の生活】 2


「……いいよ」
「はぁ?」
「いいよ、ヤろうよ」
決意を固めたようにきっと顔を上げて、カミナリ小僧は俺に詰め寄ってきた。何だか気おされて、俺は一歩下がる。
「ヤろう!」
言うと、唐突に小僧は腰に巻きつけていた上着を解くと、着ていたTシャツを脱ぎ始めた。
「お、おい!俺とヤッったってしょーがねーだろう!」
「あ。そっか」
じゃああっちの通りにいってみる、と言うや否や踵を返したもんだから、俺は慌ててそいつの腕を掴んだ。
「ちょっと待て。あせんなよ」
「…うん?でも、お腹減ったし。稼がなきゃダメでしょ?」
生きていくために。
「いいから、ちと落ち着けや」
「……うん」
落ち着けっていうのは、俺自身に言った言葉でもあり…。
なんつーか、コイツ。やることが極端だし、ちぐはぐで、すげー疲れるわ。
…………俺、ひょっとして振り回されてる?
この美堂蛮様が?
とりあえず、俺はポケットを探って新しい煙草に火をつけた。
煙を吐き出すまで、小僧はじっと俺の仕草を見守っていた。
視線を感じながらもカミナリ小僧のほうを見ないで、俺は前方のビルの壁に浮かんだシミを睨んだまま、暫くゆっくりと煙草を吸うことに専念する。
「ココはお前のいたアソコと、どう違う?違わねーだろ?」
確かにこいつの居た無限城に比べれば人間的な生活のできるところだろうが、それでもここは裏新宿だ。
巨大都市の一角の掃きだまり。
貧困と、怪しげな商売と、人の熱気とが同居したゴミのようなスラム街。
社会的な弱者はここにしか居場所がなくて、そのうえ生きてゆく手段を選ぶ余裕すらない。
「人間なんて、どこでも一緒だぜ」
何を夢見て無限城を飛び出してきたかなんて、知らないけれど。
投げやりな言葉に、隣で小僧が身じろいた。
「そうかもしれないけど・・・」
視線を宙に漂わせながら言葉を探して、
「でも、違うよ」
「あ?」
「オレ、ここに来てからまだ死体見てないし」
小僧はチラリと俺に視線をくれて、あっけらかんと言った。
「……そうか」
確かに、いくらゴミ溜めだって、そうそう死体が道端に転がることはない。
屍骸の臭いがしないっていいね、と微笑みかけられて。それが本当にほっとした表情だったものだから、俺はちょっとどうしたらいいのかわからなくなった。
そうだ。こいつ、無限城の雷帝なのか、と今更ながらに思う。
「ここの路地裏は食べ物のニオイがするもん」
「食べ物つっても、半分腐ってるぜ。生ゴミのニオイだろう」
「人が腐っていくニオイより、ずっといいよ」
うっ……それは流石に俺でも勘弁して欲しいわ。
「食べ物のニオイがするほうが、人が生きてるって思うもん。人が死ぬだけじゃなくて、ちゃんと生きて生活してる場所なんだって」
増築に増築を繰り返して、コンクリートで固められたあの迷路のようなビル群の中では、人は土にも返れない。
ただ朽ち果てるだけ…。
カミナリ小僧の細い声が、涙の粒のように地面に落ちた。
あの城の中の世界をろくに知らない俺は、口にする言葉が見つからなくてただ黙って煙草をふかす。
それに、と一呼吸置いてから小僧は改めて向き直り、



「それに、アンタがいる」



「あそこには、アンタがいなかった。それが全然違う」
全然違うよ。小僧はもう一度噛み締めるように繰り返した。
俺を真っ直ぐに射抜いてくる瞳は強くて、やはりどこまでも透明だった。
だが、無防備なくせに、途方もなく悲壮な覚悟を決めているような、決然とした印象を与える眼差しだ。


でもさぁ。

こいつ、今自分が何言ったのかわかってんの?



「…………『アンタ』、じゃねーよ」
「え?」
「美堂蛮様だ」
煙草の火を捻り消しながら、俺はぶっきらぼうに言った。言い方が思いのほか幼くなって、まるで照れ隠しに蓮っ葉な言葉使いをする少女のようになってしまい、ばつが悪い。
「蛮様って呼びな」
「いや。それはちょっと……」
「ああ゛?イソーローの癖に俺に刃向かう気かよ?!」
凄んでやると、小僧は黙ってしまった。
別に俺にビビったわけじゃねーだろうけどさ。
「お腹減ったね?」
がっくり。
「……お前、そればっかだな」
思わずため息が漏れた。





無言のまま、薄汚い路上に俺たちは二人分くらいの距離を置いて座り込んだ。
古ビルの壁に背を預けて、狭い夜空仰ぎ、ゆっくりと息を吐き出す。
薄っすらと片目をあけて、隣に視線を走らせる。
悪鬼の巣窟で雷帝と呼ばれ恐れられていた男は、抱えた膝の上に顎を乗せて、ぼんやりと地面を眺めている。
俺たちの出会いは、血の匂いと雷鳴と、暴力に彩られていた。
だが、拳をかわした時の肌がひりつく緊張感も威圧感も、今はまったくなかった。
そこにいるのは、腹をすかせて途方にくれたただの少年。ただの、小僧。
迷子のコドモ。
すると、ふと、小僧が顔を上げてこちらを見た。
不意に合ってしまった目。
そらせなくて、そのまま見つ合う。
水にぬれたように光る大きな瞳がじっと俺を見て、そして何度か瞬きをした。ゆっくりと、長い睫が上下する。
初めてこんなにまじまじと相手の顔を見た気がする。
俺も大概童顔だけど、コイツは俺以上だな。
どこからみても、ガキ。
少年と言うよりも、むしろ少女に近い気がする。
小僧は俺と目を合わせたまま、あどけない仕草で首をかしげた。
幼い表情。
でも、俺は、その身体の奥に抱えているものに触れたことがある。
無限城で出会ったときも。そして、ついさっきも。
人の生き死にをイヤというほど見てきた男。
綺麗事を言うその同じ唇で、どれほど人の死を宣告してきたのだろうか。
人の愚かさや、狡さや、醜さ。
そんなものを見て、感じて、そして自らの手で制裁を下してきたはずだ。
たとえ望まなくても、血塗られた腕を掲げて落雷を呼ぶ。
咽喉から手が出るほど平安を望んでも、それとは正反対の血なまぐさい陰惨な世界に身を投じざるを得なかったのだ。その華奢な身体に沢山のものを背負って。
世間知らずのコドモのような顔をして、ぼんやりと空を眺めているけれど。
きっと、コイツも地べたを這いつくばって、必死に生きている。
俺と同じように。
仔猫のような幼さの底に、鋭い牙を潜ませて。





すえた臭気の漂う、いつもと変わりない猥雑な裏新宿の路地裏だった。
湿った空気が、飲食店の残飯のニオイを運んでくる。
だが、生温い夜風に頬を撫でられながら、何かが始まりそうだという強い予感が、俺を満たしていった。







俺たちは路地裏の野良猫。



END



猫大好き、雪まっしぐら。にゃー。
アーリーな単行本発売記念ということで、リハビリもかねて等身大の小僧な二人に挑戦。
そして、何かが始まる胎動感を。
そんなものを目指してみましたが、もっとざらざらとした手触りのものにしたかったなぁ。
一気に書く時間がなくて途切れ途切れにダラダラ書いたので、時折自分が何を書いていたのかすら忘れてしまい、困りました。う〜む。
てゆーか、久しぶりすぎてお話書く“感”を忘れてしまい、大変!書けないよぅ!
ちなみにラストで蛮さまがカッコよくモノローグしている間、銀次の腹はグーグー鳴っています(笑)。


2004.7.15


(c)シタコ嬢