【猫の生活】 1


俺は野良猫だ。

薄汚れた路地裏で残飯を漁って生きている。
そんな暮らしを何年しているのだろう。
世間的には「少年」ていう年齢だろうけれど。
「普通」でない生まれで、「普通」の家庭とか生活なんてモンから程遠いところで生きてきた俺には、全く関係ないこと。
いつも餓えた目をギラギラと光らせて獲物を狙っている。
この外見に騙されて寄ってくる馬鹿な奴らを、隠していた凶器で切りつけてやるのさ。
勿論、たんまりとカネを巻き上げるのは忘れない。

それが俺の日常。



それが、俺の生活。






紫煙で霞む視界の向こうで、赤い唇の端が吊り上る。
続いて、念入りにマスカラを塗った長い睫が、数回瞬いた。
それに応じて、俺は煙草を灰皿に押し付ける。
言葉は要らない。これで交渉完了。
今夜はついてる。最初のこの店に来てそうそう、飯も宿も、ついでにイイ女も確保できた。
ところがスツールから降りた瞬間、不意に服のすそが引っ張られて、俺は間抜けにつんのめった。咄嗟に目の前のカウンターに手をついて身体を支え、床と激突するのを免れた。俺の反射神経、バンザイ。
「……っ」
ギロリと目を光らせながら、振り返ってみると。
「………………お前」
薄暗い照明の下でも薄茶に透き通るでっかい目玉が2つ、上目遣いに俺を睨んでいた。
つーかよ。
こいつ、なんでここに居るんだ?
暫くにらみ合ったまま、俺は心の中で首を捻る。
「何してんだよ」
「探した」
「ぁ?」
「急にいなくなったから、探した」
「はぁ?」
相変わらず俺を睨んでくる目だけはモノ言いたげなのに、そいつはまた黙り込んでしまった。
居心地の悪い間の中で、なぜか身動きできずに睨みあう。
そういえば。
女のことを思い出して慌てて店内に視線を走らせたが、すでに影も形もなかった。
飯と宿……。
「いなくなっちゃったね」
ポツリと漏れ聞こえた声に隣を見れば、そいつはぼんやりと女の居た辺りを眺めていた。
気づいていたのか、こいつ。
かすかな驚きのあとに続いたのは、もしかしてわざとあのタイミングで俺を阻んだのか、という疑い。
確かなことはわからないけれど、女のいなくなった席の辺りを未だに眺めているその空ろな目に、猛烈な苛立ちがせりあがってくる。
忌々しく舌打ちをして、シャツのすそを掴む男の手を邪険に振り払うと、硬く握られていた男の手は、意外にもあっさりと離れていった。
あっけなさに一瞬戸惑ったが、ポケットを探って煙草を取り出し、火をつけてやり過ごす。
無言のまま踵を返すと、そいつをその場に残して、俺は店を出た。






あ〜あ。どっすかなー。
吐き出した煙が地上に通じる狭い階段を立ち上ってゆく。その細い軌道を目で追いながら、ぼんやりと考える。
まだ夜は長い。腹も減っている。
でも、何だか白けちまった。
ねぐらにしてる廃ビルに戻るか、それともどっかにしけ込むか。
外に出ても、俺はもの思いに耽りながらあてどなくネオンの下をブラブラと歩いた。湿度が高いのか、しめった空気がまとわりついて不快だ。
そして、それに混じってひっそりと絡み付いてくる気配があった。
暫くそうしてぶらついた後、俺は前触れもなく、突然駆け出した。
一気にダッシュをかけて裏道に逸れると、角を曲がったところでバッと振り返る。
後を追い駆けてきた男は出会い頭に俺と衝突しそうになって慌てて身を引き、勢いあまって数歩後ずさった。
「ついてくんなよ」
薄暗いビルの狭間で無様によろめく相手に、努めて冷たい声で言い放ってやる。
店を出てから10メートルほど間をあけてついて来ていた気配の主は、目を大きく見開いて口を開いた。
「でも、そうしたら、アンタ、いなくなっちゃうだろ?」
「当たり前だろうが!」
いけしゃあしゃあと吐かれた言葉。
思わず俺は怒鳴り返す。
「…だって、やっと見つけたのに」
金髪の小僧はそっと睫を伏せて、ぽつりと呟く。
それは、とても心細そうに。まるで、迷子になった小さな子供のよう。
てゆーか。
こいつ、ひょっとして朝からずっと俺のこと探して歩いてたわけ?
そういえば随分とくたびれた格好をしている。Tシャツの裾は汚れてるし、甘い色をした金の髪は傍目にも埃っぽくてパサついている。
人ごみに揉まれ排ガスに晒されながら、一日中あてもなく新宿の街をうろついていたのかよ。
バッカじゃねーの……?
俺にこいつの面倒を見る義理なんてこれっぽっちもねーけど、ねぐらで大人しくしときゃあいいのに。
「だからさぁ、何でついてくるわけ?探すなっつってんだろ!」
「……なんだかおなか減ったね」
答えになってないし。
全然カンケーないし。
会話が食い違っているんだよ。
やっべー、異星人と話してる気分になってきた。
怒鳴られたのが全くわかっていない風で、小僧は腹を抱えて俺を見た。その情けない表情に、何だか力が抜けてゆく。俺は短くなった煙草を地面に吐き出して、壁に寄りかかった。
「テメーが俺の晩飯奪っといてよく言うぜ」
「晩飯?」
「さっきはよくも邪魔してくれたな」
「……なんだ、あの女の人のことか」
なんだって、何だ?
つまらなそうな声にカチンときた。
「食うためには、ただ待ってるだけじゃダメなんだよ。働かなきゃ生きてけねーんだよ、ここじゃあ!」
ひょっとしてコイツ、何か勘違いしてねーか?
待ってれば飯が出てくるとでも思ってんのか?
「テメーだって金がなきゃ食えねーことぐらい知ってんだろう?無限城じゃあ部下が貢いでくれただろうけど、ここにはそんな便利なヤツはいねぇからな」
小僧は黙っていきり立つ俺を見ていた。それがかえって俺の神経を逆なでする。
「人の後つけてくる暇があったら何か稼げよ!」
「……じゃあ、人にたかるのはいいの?」
それまで口を閉じていた小僧がおもむろに言った。
女のことを指しているのは明白。
だが、揶揄するでもなく、なじるでもない、純粋な疑問の声だった。
見詰めてくる瞳は、どこまでも澄んでいて。


透明な目。


カッと頭に血が上る。



まるで、俺が汚れているのを見透かされるようだ。
先刻以上の苛立ちが腹の底から突き上げてきて、やり過ごす術もなく俺は衝動のままに小僧の胸倉を掴みあげると、くすんだビルの裏壁に押し付けた。



その目で、俺を見るな。



「テメーが何を期待してんのか知らねーけど、『普通』なんてのはここでも有り得ないからな」
更に締め上げると、小僧は苦しそうに胸倉を捻りあげている俺の手を小さく引っかいた。
「テメーみてーな不器用なヤツじゃあ、クソみてーな仕事をするか、身体を売るかだ」
俺の手の甲を遠慮しながら引っかく弱弱しい爪に、黒くサディスティックな加虐心が鎌首をもたげた。
底意地の悪い笑いに口の端を持ち上げながら、ワントーン声を下げて耳元で囁いてやる。
「…丁度いい時間だ、その辺に立っててみろよ。どうせ、俺みたいに女をコマすことなんかできねーだろうし?」
片手を首にかけたまま、もう片手で顎を掴んで持ち上げる。小さな顎。そして、アスクレピオスの力をもってしなくとも、簡単に捻り潰せそうな細い首筋。
小僧は小さく咳き込みながら、眉根を寄せて俺を見た。
薄っすらと涙を溜めた薄茶色の目に小さな怯えを見取って、俺は愉しくなった。
悪くないな。
背をかけ登ってくる残虐な気分に、鳥肌が立つ。
「お前みたいなガキが好きな男が寄ってくるぜ?」
ふっと耳に息を吹きかけてやると、俺の下で小僧の身体は小さくおののく。
「どうせなら、無限城の雷帝ですって言えよ。その方が高く売れるからさ」
言うと同時に小僧の尻を鷲掴んだ。
「ヒッ」
瞬間。細い首から漏れた小さな悲鳴とともに、目の前で破裂音と閃光が迸った。
俺は咄嗟に小僧を突き飛ばし、両腕をクロスさせ顔を庇って飛び退る。次に着地した足を踏み込んで、その反動で残光が消えないうちに小僧の胸元に飛び込むと、小僧の頬に思いっきり裏拳を叩き落とした。
「こんなことでいちいちビビってんじゃねーよ!」
小僧は壁に背を打ちつけてうめいた後、叩かれた頬を押さえて俯いた。金の髪に覆われて表情はわからない。
「俺たちみてーなガキが『普通』のシゴトで稼ぐなんてできねーんだよ!」
俺は金髪のつむじを睨んで怒鳴る。
言葉が激情に任せて濁流のように咽喉から飛び出してくる。
止まらない。
なぜこんなにも興奮しているのか自分でもわからないのに、ほとんど泣きそうになりながら、俺は血を吐くように叫び続ける。
「人にたかろうがなんだろうが、一々んな生温いことに構ってらんねーんだよ!綺麗事言って甘えんな!!」
ここは中途半端に法が行き届いていて、明らかに未成年な俺なんかが、独りで生活するための稼ぎを合法的に捻り出すのは、ほぼ不可能だ。
裏家業に身を落とすか、残飯を漁って生きていくかしか、選択の道はない。
それが現実ってやつで。





それでも、生きなきゃならないから。



泥の中を這ってでも、生き抜かなければ。





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